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  冥香作・「後継者
 
 闇のなかに燈る紅。
 炎?
 否、「眼」だ。縦に割れた虹彩を持つ、爬虫の眼が放つ光だ。
 だが、眼光は弱く、今こうしているあいだにも、それは輝きを減じていく。
 
 肩で息をしながら、それを眺める者がある。
 紅眼の爬虫は横たわっているが、それでも費えようとする命の灯火は、膝をつく「彼」からは見上げる位置にある。
 少年だ。
 生来、透けるように白い肌は、自分自身と爬虫の血に汚れて赤まだら色を呈し、同じ理由から、混じり気のない銀の髪も本来の色合いを損なっていた。
 
 少年は血に汚れた顔をくしゃくしゃに歪ませて、魔物の……たった今自分が打ち倒した者の、あまりにも大きな顔に触れた。
 「……どうして?」
 淡い翠緑の瞳から、ついに涙が零れる。顔を汚した血を吸って、それは紅い滴となって地に落ちた。
 「どうして?……異なことを言う。お前の力が、我が力に優った。それだけのこと……」
 残された力すべてを使って、魔物は微笑した。弱々しく、少年は首を振る。
 「違う……、違うよ」
 結果としてとどめとなった雷撃の魔法を、無防備に、無抵抗のままに、魔物はその身に受けた。彼はわざと負けた。敗北が、死を意味することを承知していながら。
 
 喘鳴が激しくなる。魔物は笑い声をたてようとしたが、それは叶わなかった。
 「お前は余を負かしたと、そう思っておるか?……ふふ、人の子とは思えぬ類稀な闇の力を持つとはいえ、そういった甘いところは、所詮、人の子か……」
 充分な可視を赦さぬ闇のなかで、それでも少年は死にゆく魔物の顔に浮かぶ表情を読み取ろうと、眼を見開いた。
 魔物は爬虫の顔に可能な限りの穏やかな微笑を湛え、紅い眸を少年に向けている。百万の魔物をひれ伏させる威を具えたはずの眸はしかし、すでに力の大半を失っているように見えた。
 「分からぬか……?この身は、遠からず費えるさだめにあった。たとえ、お前と戟を交えることがなかったとしても。……お前は、まったく良い時に我が前へ現れた。……ふふ、可愛い奴よ」
 自分が本来生きて存在するはずのない、この時代に落ちてより数年、養い親となり、そして「奴」の存在を教えた眼前の魔物が言わんとすることを、聡い少年は理解した。
 「ぼくを……、乗っ取るつもりだね?」
 
 そういう呪法が存在すると、かつて習い憶えたことがある。昔……そう、遥かな昔、空に「魔法王国」と呼ばれた大陸が浮かんでいた頃に。
 至高に位置する魔法の知識に触れていた少年さえ、驚嘆させるに足る魔力と知識を、「魔法という技術」の衰退した時代に生きていながら、この魔物は有していた。
 何しろ、彼は「魔王」であったから。
 
 あるとき臣の連れ帰った少年……、人でありながら、魔族に優る魔を宿す者に、魔王は自身のすべてを注いだ。
 知と、力と、そして愛と。
 少年にとって、爬虫の姿をした魔族の王は養い親であると同時に、一度失った生きる目的を示してくれた者でもあった。
 「大地を喰らう大いなるもの」
 その言葉が魔王の口から語られたことで、少年は絶望の淵から這い上がる力を得た。
 憎しみを、糧にして。
 「奴」が、この時代に至っても生きているというのならば、自分がそれを滅ぼすことも可能ではないか!
 
 「ジャキ」
 名を呼ばれ、少年は我に返る。
 「選び……取るのは……、お前自身……だ」
 もはや吐息のような魔王の声を拾うため、少年は魔王の巨大な牙口に耳を寄せた。
 「大いなる王によって統べられた……、とこしえなる……魔族の世。それが、我が望み……。お前の……、望むものを得ようとする意志が、我が力に優るのなら……、お前はさらなる力を得ることだろう。……だが」
 紅い眸が、最期の命の炎を揺らして禍々しく輝く。
 「だが……、もし、お前に力がなくば、余に心を喰らわれ、我が傀儡(くぐつ)と……成り果てるであろう。お前が……抱く憎しみは、我が力に……優るであろうかな……?それとも……」
 言葉は途切れ、再び続くことがなかった。
 瞼を持たぬ爬虫の眼は、閉じられることがない。開かれたまま、それは輝きを失った。
 「……魔王?」
 応えはない。王はすでに、それに応える術を失っていた。
 
 闇のなかに、子供の泣き声。
 何かを歎き、何かを呪うかのように、……たとえば人に属する者がそれを聴いたとしたら、憐憫よりも、むしろ恐怖を呼び起こされたであろう陰々たる響きを以って、それは闇に揺蕩った。
 
 泣き声は、やがて文言の詠唱に変わった。呪文を紡ぐ少年から迸る魔力が、魔王の小山のような骸を覆う。
 
 王とその養い子である少年が儀式の間に籠ってより、丸三日。夜半に、扉が開かれた。
 ビネガーを始めとする重臣たちに迎えられたのは、爬虫の爪に成る大鎌を携えた、銀の髪を乱した人の子のみ。
 ……否、それはすでに、「人」ではない。
 伏せていた顔を、少年は擡げた。
 縦に割れた虹彩を持つ紅い眼が、魔物たちを睥睨した。畏怖のざわめきが、魔物たちの列に走る。
 「魔王様……!」
 耳殻の大きく尖った耳はビネガーの声を拾ったが、その呼びかけに少年は反応しなかった。彼は、あの「魔王」ではなかったから。
 
 貴方には恩がある。
 人知れず、少年は胸中に呟く。
 貴方には恩がある。だから、しばしのあいだは、貴方の望みを叶えるために努めよう。
 「勅命である。人の世界を平らげよ。とこしえなる、魔族の世を築くために」
 
 威に打たれてひれ伏す魔物たちを無感動に見やりながら、さらに独白する。
 だが、ぼくは、ぼくが為そうとすることのために、貴方を利用する。貴方が護りたかったものも含め、すべてを。
 「卿らの力、すべて我に捧げよ。拒むことは赦さぬ」
 
 「弱き者は、虫けらのように死ぬ。それだけだ。お前は、どうであろうかな?」
 ぼくのなかに宿った貴方の、最期の言葉。肝に銘じよう。
 ぼくは、強くなる。ぼくからすべてを奪った「奴」を、滅ぼせるくらいに。
 
 「我ら魔族の、力と忠誠のすべてを、魔王様の御ために」
 ビネガーに倣い、重臣たちが皆低頭する。
 紅い眼を臣どもの列に据えたまま、少年……魔王は、嗤う形に口を開いた。爬虫の牙が、口の端から零れた。
 「……よし」
 
 
                           了
 
 
 あとがき
 
……とお詫びです。
 
SAID−Aのトップを改めて読み返しました。そして投稿規定を見直してみて、びっくり!
……ゲームのタイムスケール内のエピソードは、規定範囲外だったんですね。
すみません。前に投稿した「INTERMEZZO]は、「範囲外」なモノです。
主旨を理解しないまま投稿してしまい、申し訳ないです。これからは気をつけます。ごめんなさい。
 
今回送らせていただく「後継者」は、正真正銘「語られぬ過去」のお話です。
あまり「楽しい」という雰囲気の話ではありませんが、読んで下さった方に少しでもおもしろいと思っていただけたら嬉しいです。
 
それでは、今回はこれにて……。
 

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