クロノプロジェクト正式連載版シーズン2
 

第88話「恩」
 
 
「…か?」
 
 
 緊張が走る。
 張りつめた空気の中、クロノが老紳士に静かに問い掛けた。
 彼の問い掛けに、老紳士はワイングラスを置き、姿勢を正すと答えた。
 
 
「いや、まさかな。…これは私の独り言だと思ってくれていい。私の名はフリッツ・アンダーソン。元はトルースに暮らす商人でした。だが、御存じの通り、ガルディアは今はもう無い。私はトルースから逃れて、このメディーナの地で商業を営んでおります。妻の名はエレン。」
 
 
 老人はそう話すと、再びワイングラスに手を伸ばした。彼は一口飲むと再びテーブルへグラスを置き、一息呼吸して外の方を見ていた。
 わざとなのか、彼は目を合わせようとはしない。だが、その窓に映る表情はするどく鋭敏な頭脳を働かせている様に思われた。
 クロノは外を眺める彼に倣い、外を見つめる老紳士に視線を合わせて話した。
 
 
「…あなたの仰る恩人とは、俺のことなのか?」
「…そう、思われますか?」
 
 
 クロノの静かな問いかけに、老紳士も静かに問い返した。
 クロノは正面のフリッツと名乗る老紳士が「自分の記憶の中にあるフリッツ」なのか…そして、そのフリッツが何故自分と接触したのかを考えていた。だが、答えは目前にある。元来深く考えるより行動することを優先する彼は、迷わず正面からぶつかる事にした。
 
 
「…少なくとも、あなたは俺と過去の恩人が似ていると思っているからこそ、この夕食に招待したわけだ。」
「…そうです。だが、私にはあなたが本人だと言う確証は無いし、そう思う根拠もない。確かに似ている。しかし、それもよく似たそっくりさんだと思っているにすぎない。第一、私の若い頃の話です。もし生きているなら、私同様にもう良い年ですな。」
 
 
 老人の言葉はもっともだ。
 彼の話は過去の人物の話であり、当然彼の言う通り想像される「そっくりさん」は相当の年齢に達しているだろう。
 
 
「…確かに。だが、俺も…あなたを何故か知っている。」
「…ほう、是非聞かせて頂きたい。」
 
 
 クロノは彼の求めに頷き応じた。
 一息付くと、ゆっくりと話し始める。
 
 
「…あれは、俺の時間で五年前の話しだ。
 俺はヤクラの奴にはめられて、冤罪で牢に入れられた。
 だが、俺はそこに留まるつもりは無かった…」
 
 
 ー 五年前 ー
 
 
 …刑務所はとても寒かった。
 
 
 ガルディア大陸は北に位置しており、冬は雪が降り、夏もそう暑くはならない。
 当時の季節は夏の終わり。…夜は夏と言えども寒かった。
 
 
 クロノは外が夕焼けになる頃を待って動き出した。
 看守を倒すことは容易だったが、道が入り組んでいて何処が出口なのかわからない。
 特に監獄に入る前に気絶させられていたために、何処をどう通ってきたのかまるでわからなかった。脱出するためには一つ一つ道を探るしかない。彼は一つ一つの道を慎重に探し歩いた。そして、その道の先で拷問部屋を見つけた。
 
 中に入ると人の気配がした。
 初めは亡霊かと思ったが、よく見ると古びた骨董品並みの処刑道具に人が仕掛けられていた。
 
 
「おい大丈夫か?今助けてやる。」
「あぁ、助かった。死ぬかと思ったよ。俺はトルースでグッズマーケットをやってるフリッツだ。いやぁ、まさか、こんなことになるとは思わなかったよ。助かったぁ。」
「どうする?俺についてくるか?」
「いや、自由になれば何とかなる。それに先を急いでいるんじゃないか?俺は荷物を探してから出たい。」
「1人より2人の方が心強くないか?」
「まぁな。はは、出口で会えたらよろしくな。」
 
 
 フリッツはそう言うと荷物を探しに走って出て行った。
 クロノはその後刑務所を脱出し、助けにきたルッカと共にドラゴン戦車を倒し、マールと共にゲートから現代を脱出したのだった。
 
 
「…あの後、無事に出てからあなたの店に行った時、あなたはお礼にミドルポーションをくれたよな。エレンさんはあなたのことを心配していたから、無事帰って来たあの店で見せてくれた笑顔が忘れられないよ。」
 
 
 クロノの話に、フリッツは勿論、彼の隣に座るエレンも目をパチクリとしていた。
 
  
「…信じられん。まさか…あの話は本当だったのか。」
「あの話?」
「…あなたは、いや、殿下は千年祭のパレードの時にマールディア王女様と共に『未来を救った』という名目で祝われていたではないですか?…私共市民の側からしたら、当時は何がなんだかわからなかったが、…今の貴方の姿がそれを意味するのであれば…本当だったのかと。」
 
 
 フリッツは自分で話している今ですら半信半疑だった。だが、今目前にいる存在はどう見ても過去の記憶にあるその人としか言いようがなかった。
 クロノもまた自分が出会った人物の未来をこの目で見る事になるとは、夢にも思わない気分だった。
 困惑する気持ちはお互い様であった。
 
 
「…確かに、俺にも説明しようがない。だが、俺が本人であることに変わりはないとしか言い様が無い。証明する根拠も物証すらも無いけどな。あと、殿下はやめてくれないか?今は殿下でもなんでもない。」
「いや、私の監獄のことを知っている人間はそうはいない。まして、どうして抜けられたかを知っている人間は1人しかいない。あなたが紛れも無く本人であることは確かでしょう。
 …しかし、驚いた。まさか25年目にして恩返しを許される時が来るとは。
 …神の思し召しだ。」
 
 
 フリッツの言葉に、クロノは静かに言った。
 その目は真剣だ。
 
 
「…恩返しか。なら、あなたはこんなことは可能か?」
「どんなことでしょう?」
「国立研究院に入る許可を取ることだ。」
 
 
 フリッツの眉が動く。
 一瞬険しい表情を見せたが、それはほんの一瞬であった。
 
 
「ほう、可能ですが、何故研究院などに?」
「ボッシュに会いたい。たぶん、今この時代でマールを救い出す策を持っている奴はボッシュしかいない。」
 
 
 クロノの言葉はフリッツの表情を曇らせた。
 
 
「マールディア様が………、何があったのです?」
 
 
 クロノは思わず顔をうつむかせ言った。
 
 
「パレポリにさらわれた。」
「なんと!………、」
 
 
 クロノはこれまでの話をフリッツに話した。
 フリッツはその話を黙って静かに聴き、聞き終えると少し考えてから答えた。
 
 
「…わかりました。では、しばしお待ちを。」
「えぇ。」
 
 
 そう言うとフリッツはテーブルに置いてあるベルを鳴らした。
 すると、ベルボーイがやって来た。
 
 
「御用でございますか?」
「ペンと紙を持って来て欲しい。」
「畏まりました。すぐにご用意致します。」
 
 
 ボーイが言うや否や、すぐに後方から新たなボーイが現れて、ペンと紙がフリッツの目前に用意された。
 
 
「有難う。下がってくれ。」
 
 
 ボーイは一礼すると、静かにその場を去った。
 フリッツはペンを持つと、紙にすらすらと文を書き始めた。
 そして書き終えると、クロノにそれを渡した。
 
 
「これを研究院の入口で渡せば大丈夫でしょう。」
「これは…」
 
 
 そこにはフリッツによるボッシュへの紹介状が書かれていた。
 
 
「私からの紹介状です。それさえ有れば、この国の大抵の場所は入ることが出来ます。まぁ、会ったばかりで私のことを信用しろと言うのも難しいでしょうが、どうか信じてお使い下さい。」
 
 
 フリッツはそういうとにっこりと微笑んだ。
 婦人のエレンも微笑んでいた。
 クロノは二人に感謝の気持ちを込めて、深々と頭を下げた。
 
 
「有り難うございます。」
 
 
 フリッツは彼の礼に一瞬物を言うのを忘れた。
 彼の姿からは、何かオーラとでも言うのだろうか、とても常人の持ち合わせていない威厳の様な力が感じられた。
 
 
「あぁ、礼など要りません。頭を上げて下さい。それより、今日は良い夕食だった。こちらこそ有り難う。」
 
 
 そう言うと、フリッツはベルを鳴らした。
 後方からボーイが歩いてくる。
 
 
「さぁ、お疲れでしょう。今日は有り難う。私の名刺を渡しておこう。普段は飛び回っているが、ご連絡が有ればいつでもお力になります。」
 
 フリッツはポケットから名刺入れをとり出すと、クロノに手渡した。
 名刺にはアンダーソン・コーポレーションという企業名と連絡先、そして彼の名前が出ていた。クロノはこの名前に昔の記憶が呼び出された。
 
 
「あのさ、フリッツ。アンダーソンって、あのアンダーソン?」
「あのとは?」
「いや、王室ご用達のアンダーソン社だろ?」
「えぇ、仰る通りです。」
 
 
 クロノは今さらながら彼の身なりの理由が理解できた。彼の目前にいる人物は、ガルディア王国時代から王国を代表する商会の息子だったのだ。
 フリッツは側に来たボーイに言った。
 
 
 「お客様が部屋に戻られる。お部屋へ案内してくれないか?」
 
 
 ボーイは頷くと、二人のイスを引き部屋へ案内した。
 クロノ達はフリッツ夫妻にもう一度礼を告げると、ボーイに案内されて自分達の部屋へと去って行った。
 
 
 二人だけになった部屋。
 エレンは夜景を見ながら微笑んで言った。
 
 
「…不思議なこともあるのね。」
 
 
 彼女の言葉は彼も感じていた。
 フリッツはワインを一口含むと、彼もまた夜景を見て言った。
 
 
「…そうだな。だが、情報は本当だったらしい。…となれば、満更悪く無いではないか?」
 
 
 フリッツはそういうと国立研究院の森を見た。森の向こうには壮麗なモニュメンントタワーを持つ国立研究院があり、タワーの頂上が赤くサインを出している。
 
 
「そうね。こんな時代だからと暗いことばかりを信じるのは、…いい加減に終わりにしたいものね。」
「…あぁ。」
 
 
 夫婦は暫く窓を見つめながら語っていた。

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